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障害があるからこそ、

新たな価値を生む、

真の福祉国家の未来へ

代表理事 山下勇雄

経歴

1967年  大阪市出身

1990年  東海大学 卒

2001年  家業酒販店を2代目として継承

2009年 諸事情により家業廃業

2012年  就労移行支援事業所勤務

2014年  チャレンジステージ設立

はじめに

はじめまして。NPO法人チャレンジステージ 代表理事の山下勇雄(やました・いさお)と申します。この度は当サイトをご覧いただき、誠にありがとうございます。私は障害者の方の就労・雇用、双方のサポート事業を展開しております。同事業に至るまでの道のり、現在の課題と想い、そして未来へ向けた展望を、これからお話しをさせて頂ければと思います。以下、私の歩みや胸の内をストレートに表現させて頂きますので、何卒、ご一読頂ければ幸いでございます。

障害者就労支援の道へ

33歳、私は両親が立ち上げた酒販店を引き継ぎました。やりがいと充実感に満ちた忙しい毎日でした。しかし、時流の変化や私の能力不足により、8年後、41歳の時分に廃業を余儀なくされます。親が懸命に築いた城を自分の手で壊さねばならない。これは非常に心苦しく辛い経験で、人生最大の挫折・屈辱・絶望を味わいました。それでも、自分にやれる事は何でもしなければならないと立ち上がり、法人営業、アルバイト、派遣会社登録等、約3年の間に様々な仕事に携わりました。

 

これらの歩みの中で、私は偶然、障害者の方の就労支援事業を立ち上げるという経営者の方とご縁を頂きました。自分にとって「障害者」という分野はまったく未知の世界でしたが、何か強く惹かれ、導かれる力を感じ、同事業に本格的に関わらせて頂く事となったのです。

「障害者への就労支援」という、私が目を向けなかった世界には、本当に様々な、そして複雑な要素が絡み合っておりました。行政目線・会社目線・障害者目線。それぞれが見る世界に、それぞれの問題や課題があったのです。そして多くの場合、それらの問題や課題は無視、黙殺されています。暗い部分に目を向けなければ、風波を立てずに運営は続けられるのですが、私はどうもまっすぐな性分のようで、徐々にそれらの問題や課題を何とか解決したいと思うようになりました。
 

母の激高と涙、社会的に弱い立場の方への想い

当時、私はふと過去の出来事を何度か繰り返し思い出していました。それは10歳の頃の、私の母の話なのです。ある日、母は途方もなく激怒して家に帰って参りました。事情を耳にして、私もひどく暗い気持ちになりました。それは、このような出来事だったのです。

私の家の近所の商店街に、身体に麻痺など重度障害のある方がおりました。その方は自分でも運転出来るように改造した自転車を使って、金魚やペットなどの餌を販売されていたのです。そこに、複数の少年が近づいて、商品を盗り、からかい、ゲラゲラと嘲笑していたのです。その方は抵抗もできず、ただ言葉にならない声を振り絞り、「やめてー!返してー!」と何度も叫び泣いていたそうです。

母を含めた周囲の人がいさめ、この小さな騒動は終わったそうですが、母の怒りは収まりません。「体が不自由でも一生懸命働いて頑張っているのに!なんであんなひどいことができるんやろ!!腹が立つ!!」と、涙を浮かべながら、私に言うのでした。優しい母がそこまで激高したのは初めてでした。

 

あの時の母の姿が、今でも脳裏に焼き付いています。母は山陰地方出身で、多くの兄弟がいる大家族、そこには障害がある・ないに関わらず、年齢や性別も超えて、各自が役割をもって共に助け合い、支え合って暮らしていたと聞いています。社会的に弱い立場の方でも、一生懸命に社会参加や自立をしようとし、周囲の人たちもその意欲を応援したり、協力したりしていました。

「助け合い」を知る、その母だからこそ、先ほどの思いやりも温かさも無い、残酷な出来事を、到底許す事が出来なかったのでしょう。私は、そうした母の立派な公共道徳の影響を受けて育ちました。「障害者への就労支援」という世界に並々ならぬ興味を抱いたのも、そうした背景があるのだと思います。
 

少年時代、一家心中を思い留めた父の逆転人生

私は父からの影響も大きく受けています。父が子供の頃は、一家を支える長男として働き詰めだったと聞いています。それでも一家は困窮を極め、明日のご飯もままならないという有様でした。

 

ある日、父は自分の両親と話し合い、遂に心中をするしかないと心に決め、それを実行しようとしたそうです。しかし、隣で寝ている兄弟の寝顔を見ると、その最後のラインを超える事は出来ませんでした。彼は絶望したまま線路に立ち、電車の到来を待ちましたが、再び生の世界へ戻りました。彼は自分が一度死んだと考え、勇気を振り絞って再生を誓います。そこから、彼は家族の反対を押し切って、まさに裸一貫で大阪へ入り、酒問屋に勤め、その後、小さな立ち飲み屋を出し、少しずつ店舗を広げ、繁盛店を築くに至りました。
 
私は幼い頃から、こうした父の話を耳にして参りました。苦境をバネにゼロから己の道を切り開き、チャレンジ精神と気概を持って大成する。このような生き方に深い憧れを抱く事になったのです。優しい母、強い父が、今、私の魂に宿っています。こうした両親のもとで育った私が、現在の仕事に至りましたのは、偶然ではなく必然であり、まるで導かれていたかのように感じるのです。

 

改めて思い返しますと、不思議なご縁ばかり、まさに渡りに船の連続で今に至っており、私は感謝の念に堪えません。

私にとっての「幸せ」とは

家族の事を申し上げる中で、もうひとつ、父方の祖母が晩年、私とこのようなやりとりを交わしています。

 

「いさお君、幸せか?」--、不意に祖母が私に問いました。この時、先の酒販売事業が座礁に乗り上げている最中であった為、正直に言えば幸せとは程遠い所におりましたが、私は祖母を心配させたらあかんと考え、やせ我慢で、「幸せやで」と答えました。祖母は「幸せやったらいいんだけど…」と何かを言いたそうにしながらも、そのまま会話は終わってしまいました。

 

父のエピソードの通り、昔、貧しさから一家心中手前まで追い込まれた祖母には、孫の様子について何か痛烈に感じる所があったのでしょう。祖母は他界しておりますが、現在の私なら、今度はやせ我慢なしに、胸を張って、自分が幸せであると伝えられます。「山下さんに出会えて本当によかった!」とおっしゃって頂ける仕事や人生を送らせて頂いている私は、本当に幸せ者です。

 

これから事業の歩を着実に進めていきながら、亡き祖母の墓前で、しっかりと、その報告をさせて頂きたいと思っております。

障害者就労支援業界で唯一無二の事業

さて、こうした経緯の中で私が立ち上げた、「障害者就労支援の業界で唯一無二の事業」について、これよりお話を続けさせて頂きます。

一般的に皆様はあまり存じ上げない分野かもしれませんが、日本には「障害者の方への就労支援」の枠組みが行政・法律レベルで体系化されておりまして、具体的には「障害福祉サービス」という形で、国の支援のもとで運営が行われている事業者も多くあります。しかし、これらの事業やサービスには多くの点で理念に反する行為があり、障害者の真の意思を汲み取る内容になりきれていない現実が多々あるのです。

 

この国は、表面上こそ「真心のある福祉国家」が演出されているものの、その中身は目も当てられないような汚らしい所があります。これが、率直な私の意見です。私のような信念を持って足を踏み込んだ者は、「なんだ、この空恐ろしい伏魔殿は?」と感想を漏らさずにはいられません。

 

最大の問題は、「障害者」という存在が、「金を生み出す単なる駒」として扱われている点です。障害者の方はハンディキャップがあっても、社会に参画し、仕事を通じて周囲に貢献する、そのような意義のある人生を送らねばならないはずですし、確実にその権利があります。しかし、現時点では、「国から金を引き出すキャッシュカードに過ぎない」という傾向があり、障害者の方はただそこに座っているだけ、会社はただそこに椅子を置いているだけ、という関係性が多く垣間見られます。

 

目を閉じ、口をつぐみ、耳を塞いでいれば、なるほど、国家・会社・障害者の三角関係は大いに金が巡る事になりますから、それで良いという方もいらっしゃるかもしれません。しかし、それが本当に「真心のある福祉国家」と言えるのでしょうか?そのような現実に、どれだけの障害者の方が充足感を覚えているでしょうか?そして、その腐敗した三角関係の維持が、本当に私たちの未来に役立つ事なのでしょうか?
 

ニーズ無き場所に変革を

私はこうした実態を目の当たりにし、「障害者就労支援」という業界内で、様々な立ち位置と相対しながら、その打開策を探りました。そうして、私は障害者の方を雇用義務によって縛り上げるのではなく、「障害があるがゆえの価値で雇用し、会社を変革発展させる」というモデルを創出するに至りました。

日本理化学工業株式会社様の故・大山泰弘会長のお言葉で、「働く幸せ」に関するものがあります。同会長は「人間の究極の幸せは、人から愛され、褒められ、お役に立ち、必要とされる」という禅寺住職のお言葉から、「この4つの幸せは働くことで得られる」と考え、「人は働くことで幸せになれる。であれば会社は社員に働く幸せをもたらす場所でなければならない。」と語ったのです。

 

私はこの言葉を座右の銘としております。「そうだ!こうした社員が働く幸せを実感できる会社創りを、障害者雇用を通じて増やしていこう!それが本当の意味での就労支援につながるんだ!」というのが、私の信念と確信になったのです。

「障害者雇用の義務のない会社が、障害者雇用を行う為の専門のサポート事業を行なっている」という状況は、極めて異例で、おそらく弊社の他に同類の事業展開をされている方はおられません。本来であれば、「雇用義務のある会社が、それを満たすために専門家へ依頼をする」という流れで事業を確立する所を、私の方では「全くニーズのないところに事業を成立させる」という流れを取っているのです。これは、非常に無謀な見込みだと言わざるを得ません。ですが、先のような腐敗した世界を変える為には、絶対に誰かがやらなければならない事なのです。
 

チャレンジステージの向かうべき道

以上、こうした背景から、チャレンジステージは自社を筆頭に、下記の3つの会社を創ります。
 
1. 誰もが物心両面の働く幸せを実感できる会社を創る
2. 誰もがチャレンジ精神と向上心を持てる会社を創る
3. 誰もが働きながら心身の健康が得られる会社を創る

ここで、3つ目の項目に注目して下さい。ここには更に、私の特別な想いが込められています。「障害者」というのは先天的な方ばかりではなく、もちろん後天的な方、つまり「怪我や病気、事故や災難に遭遇して、そのような立場に追いやられてしまった」という方もいらっしゃいます。

 

この時代、そうした後天的に障害を抱える方のパターンと致しまして、「過酷な労働体制やパワハラやイジメなどを受け、精神的・物理的なダメージを蓄積し、心身を完全に壊してしまった」というものが非常に多く存在するのです。それは、とても病んだ世界であって、健やかな状態ではありません。

会社という組織は社会の課題に対し、本業や事業を通じて、解決や貢献していくべき存在です。ところが、黒々とした組織の中には、かえって個人を圧迫し、新たな課題を生み出し、社会に悪影響を与える場所もあるのです。私はこの現実がとても悲しくなります。

 

今こそ、私たちはこの社会的・時代的苦境を乗り越えねばならない、つまり革新を加えていかなければならないのです。会社という全体組織だけではなく、働く人も、支援者も、その意識改革とチャレンジ精神が必要となります。
 

障害があるがゆえの価値とは

そもそも、現代社会における最大の誤解は、会社側にとって「障害者」という存在が「単なる負担」であると見なしている点にあります。実は、この認識は途方もない間違いを犯しています。負担どころか、障害者の方は「起爆剤になり得る戦力」なのです。

現在、日本のみならず、世界において「多様性(ダイバーシティ)」「包括性(インクルージョン)」「持続性(サスティナビリティ)」というテーマが推し進められています。あらゆる人々のあらゆる才能を丸く取りまとめ、包み込み、それらが全て力として機能し循環する世界が、時代のメインストリームとして流れ始めているのです。日本にとって、その流れの突破口こそが、「障害者」という存在になり得るのです。

 

なぜ、そう言い切れるのか。それは次のような好循環を期待出来るからです。職場が障害者の方を真にチームの一員として受け入れようとした時、彼らの持つ能力が最大限に発揮できるようになる為には、「業務の方法」「職場の環境」を大胆に変えねばなりません。それは日常のルーティンワークで磨耗していた会社を活性化させ、お互いを支え合う環境が整い始め、各人に自立と成長の機会を与える事に繋がります。

「戦力としての障害者」という存在は、これまで会社内で弱者とみなされていた制約的社員(育児・介護・病気等を抱える社員)、消耗社員(精神的・物理的問題に圧迫された社員)、新入社員(育成途上の未熟な社員)を巡る自他の認識も、また大きな革新を与えます。「弱さ」を恥じたり、避けたりするのではなく、「弱さ」と向き合い、受け入れるという意識が芽生えます。

 

そうして、逞しい互助精神が生まれた時、会社全体としても更なる飛躍が見込まれます。「障害者」という存在が、「障害があるゆえに会社に価値をもたらす」という鮮やかな効果を生み出すのです。
 

おわりに

より良い、より豊かな社会にする為に。私たちチャレンジステージは、多くのチャレンジの場を創出し、「固い信念と柔軟な思考を持ち、常に最善最良の選択肢を模索し続ける」ことを、ここに強く誓わせて頂きます。

 
起こった過去の出来事は変えられませんが、起こった過去への想いは必ず変えられます。「悪夢のような廃業はこの日のためにあったのか」と想える日が来ることを信じ、私は今後も邁進していく所存です。どうぞ皆様、今後とも宜しくお願い致します。

NPO法人チャレンジステージ代表理事 山下勇雄